「わが子がまさか不登校になるなんて…」 予想もしていなかった出来事に直面し、どうして良いか分からずに困惑されている方も多いのではないでしょうか。
「なぜ、不登校になってしまったのか」と原因を追求することに全く意味がないわけではありませんが、それによって問題を解決しようとするよりも、お子さんが今、「何をしたいと望んでいるのか」「どういったことであれば取り組むことができるのか」という視点を持つことの方がより重要であろうと私たちは考えます。
そして、その方が結果として良い方向に結びつきやすいというのが、これまでの経験から感じることです。
「不登校」という状態に直面すると、「子ども(本人)」は勿論のこと、他にも「親」や「先生(学校)」といった様々な立場での「当事者」が同時に発生することになります。
親に限らず、子ども自身も不登校という状態を受け止められるようになるまでには時間がかかるものですし、不登校の原因は様々といわれるように、先生(学校)もケースに応じて試行錯誤と葛藤を繰り返すことになりますから、次のステップへと歩み出すその過程において、それまでの経験や立場の違いから擦れ違いが生じ、お互いの関係性が崩れてしまうことも少なくありません。
原因探しはあまりお勧めしないと先ほど書きました。「子ども」「親」「先生(学校)」といった自分以外の相手、もしくは、自分自身を責めるだけの結果となり、関係性が損なわれることが往々にしてあるからです。
「子ども」を責めるのでも、「親」を責めるのでも、「先生(学校)」を責めるのでもなく、ときとして緊張状態に陥りやすいその関係性を保ちながら向き合い続けていくことが大切です。
学力を向上させたり、他者との関わりを通じて社会性を身につけたりしていく上で、「学校」が果たしている役割は確かに大きいものがあります。
しかし、たとえ「学校」に通えない状態が続いたとしても、子どもたちの成長をそこで止めてしまうわけにはいきません。そして、子どもたちの中にも、「学びたい」「成長したい」という思いが必ずあるはずです。
「訪問」という形によってすべてが解決できるわけではありませんが、人と人とが出会うことによって、必ずそこには何かが生まれ、お互いにとっての「学び」と「成長」の機会となります。
子どもたちの悩みに寄り添い、希望に耳を傾ける中で、彼らのその「学びたい」「成長したい」という思いを少しでもお手伝いすることができたらと願っています。